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2006年09月22日

再考しても答えは個々の都合次第だと思うこと

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あんまりこのネタには触れたくないんですが、やっぱり「うーん?」なのです。

陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。

と言ってます。生命力は絶てない。そういいながら結局新たな生命は絶っている。

ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。

これもいかがなものかと。晴れ晴れだなんて、これが正義だなんて、自己正当化のためにかなり偏見が入ってるような気がします。自分を殺してるといいながら、結局は生きてるんだから。辛くないとは思わないけど、自分が飼い易い利益を尊重している点で変わらないと思うんですよね。

ハンセン病やナチスドイツを例に「性」の管理をあげて、それを悪としてるけど、自分がしているのは「生」のコントロールではないか?とも思うし。

命をコントロールしたいのなら、崖から投げ捨てるなんてことはせずに、せめて苦痛を与えないようにできないのかと思うのが今精一杯の感想だなぁ。虐待だと思われるのはそこじゃないかという気がするので。

投稿者 suzumari : 2006年09月22日 17:01

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